2010/11/12

PET検査報告(1)

ステージIV-b、切除不能でした。膵体尾部に約5cm大の腫瘤。リンパ節転移、主膵管拡張、嚢砲性病変、脾動静脈浸潤、膵外神経叢浸潤、多数の腹膜播種結節。腹水貯留は目立たずとのこと。FDG集積亢進(SUV)など、自分の知識が追いつかない、調べ物大好きなので、今はこれが生きがいかも。
11月16日から入院予定です。超音波検査をして、抗がん剤を開始することになりそうです。抗がん剤については、迷うところもありますがやってみます。

2010/11/10

PET-CT(1)

PET-CTを受けました。体内の情報が判り、自分の病状の理解に繋がる。かなり前向きです。とりあえずお腹空きました。

2010/11/08

2010 11月 腫瘍マーカー

CEA         18.6
SPan-1       91.0
CA19-9       273
DUPAN-2       400

初診

新しい病院で、1回目の診察。PET-CTの予約と精査加療入院の日程を決めました。どこからどう見ても元気な人間にしか見えないし、今では体重も戻り始め活力もあるのに、病状の事実を受け止めて、治療の道の予定を進めて行くのは不思議なものです。祈る気持ちもあれば、実は間違いであって欲しいという妄想もあります。
世界中の友人の協力の下、膵臓癌をリサーチしました。近年、医療が飛躍度的に進歩してるとはいえ、かなり絶望的な状況。10年後に発症していればとしか、表現できません。膵臓癌の原因は不明なようです。エスプレッソコーヒーとアメリカンスピリットタバコは好物です。20代より友人達からの影響で、化学物質を避けた肌用製品、コットン製品、ベジタリアン、ビーガン、マクロビオティック、 玄米食、自然食、添加物-乳製品-動物性脂肪-精製糖などを摂取しないこととかに、ずっと慣れ親しんできた人生を送ってきた自分としては、何で俺?みたいな気持ちはありますが、なったものはなったので、これからどうするか、楽しんで乗り切るしかないです。当面チルな生活だ。

2010/11/03

決心

自分が膵臓癌と知らされて、その翌日は独りで長い間歩いたのを覚えています。周りの景色が全く異質なように思えました。購買意欲もなく、食料だけ買ってました。先ず膵臓癌について知識が無かったので、よく調べていくうちに、他の臓器のがんに比べて、進行が速く生存率が極端に低いこと、がんの王様と表現されていたこと、転移している切除不能の場合には2種類しか抗がん剤しか無いこと、とりあえず絶望的状況だなあと。ただ、元来楽天的で前向きなので、落ち込んだのは1日だけでした。ヨーロッパに住んでいたのですが、数年前、父親の食道癌で手術が危なかったこともあって、実家に戻り療養を手伝っていました。広範囲の転移した臓器を摘出したにもかかわらず、 その後の抗がん剤治療で根治まで至りました。父方の祖父は肝臓癌で亡くなっています。母方の祖父は、30代で若くして逝ったそうです。大阪府立成人病センター等であれば、複雑な転移部分があっても切除手術という道もある、電話で話した東京在住の友人のチリ人の女性は、国立がん研究センター中央病院で肝胆膵外科の島田先生から手術を受け経過が良いという。樹状細胞ワクチン療法、活性化リンパ球療法、NK細胞療法、高濃度ビタミンC療法、低容量ナルトレキソン療法等の様々な選択肢もあります。病院を調べると、正直かなり迷いましたが、とりあえず、父が根治した病院に良い思い入れがあったので、精査してもらおうと、四国への転院を決めました。

2010/11/01

膵臓癌の告知

数ヶ月にわたって胸部腹部に痛みがあり、体重減少があったものの、身体が丈夫で我慢できたので痛み止め等服用して放置してました。
10月になって痛みが強くなったので胃潰瘍程度だろうと思い、経鼻でできる胃カメラを設置している近所のクリニックを受診。血液全検査をして1週間後に胃カメラの予約を取りました。数日後、血液検査の結果を見たドクターから電話があり、超音波検査を受け、その日のうちに総合病院へ紹介され緊急受診となりました。その頃には黄疸、褐色尿になっていました。
10月22日に閉塞性黄疸で総合病院に入院、ERCP(内視鏡的逆行性膵胆管造影検査)とERBD(内視鏡的逆行性胆管ドレナージ)を施術して、胆管にチューブを留置。その後、経過も良く回復してました。
10月28日に、ドクターと面談があり、病理検査の結果、進行度4bの悪性腫瘍で、転移があり摘出手術は無理そうだと告知がありました。その時、余命?はと聞いたところ、8ヶ月位の症状という真顔での返答には、心を大きく揺さぶられました。